ライフスタイルや価値観の多様化とともに、昨今では様々な時事問題の中で憲法上の権利について取り上げられる様になりました。例えば、
- ヘイトスピーチと「表現の自由」
- 同性婚と「婚姻の自由」
- 新型コロナウイルス感染症拡大を防止するための営業規制と「営業の自由」
など、枚挙にいとまがありません。
こうした憲法上の権利について話題になる際にセットで取り上げられるのが、「公共の福祉」という概念です。
しかし、公共の福祉という言葉について調べてみても専門的な内容の記事が多く、中々分かりにくいという方も多いのでは無いでしょうか。
そこでこの記事では、
- 憲法上の権利と公共の福祉について
分かりやすく説明していきます。ご参考になれば幸いです。
目次
1、公共の福祉について知る前に~そもそも憲法上の権利とは?
公共の福祉という概念は、憲法の中では次の様に登場します。
第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
第22条「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」
第12条では、憲法の権利について公共の福祉のために利用する責任があることを定め、憲法上の権利の一つである職業選択の自由を定める第22条では、公共の福祉に反さない限りこうした自由が認められることが定められています。
つまり、公共の福祉とは「憲法上の権利」を制約する概念として定められています。
そのため、公共の福祉について知るためには、まず「憲法上の権利」について知る必要があります。
(1)憲法上の権利〜基本的人権とは
憲法上の権利は、憲法の中で国民の「基本的人権」として保障されており、憲法の第三章以下で様々な権利が定められています。
基本的人権は、憲法第11条において、
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」
と述べられていることから、次のような性質を有していると一般的に言われています。
- 基本的人権は国家などから与えられたものではなく、人間であることから当然に有するとされる権利であること(人権の固有性)
- 国家や公権力などから侵されることのない権利であること(人権の不可侵性)
- 人権は、人種・性・身分などの区別に関係なく享有できる権利であること(人権の普遍性)
つまり、基本的人権は本来人間であれば当然に有する権利であり、全ての国民は、基本的人権を「国家」などから不当に侵されることなく享有することができるのです。
また、基本的人権は、大きく分けると
①自由権
②参政権
③社会権
に分けることができます。
①の自由権は、国家から自由な意思決定や活動を不当に妨害されない権利、②の参政権は、国政に参加する権利、③の社会権は、生活保護などのように最低限度の生活を営むための保障といった社会的な格差是正を求める権利になります。
基本的人権のうち、今回のテーマである「公共の福祉」との関係で問題になるのは、①の自由権になります。
(2)憲法上の各権利について
さて、そんな憲法上の権利には様々な権利があります。
代表的なものとしては、以下のような権利が挙げられます。
- 法の下の平等(第14条)
- 普通選挙権(第15条)
- 表現の自由(第21条第1項)
- 営業の自由(第22条第1項)
- 信教の自由(第20条第1項)
- 婚姻の自由(第24条)
- 財産権(第29条)
このほかにも多数の権利がありますが、こうした憲法上の権利で先ほど挙げたような代表的な権利は、「○○の自由」という呼ばれ方をするものがあります。
これは、先ほどご説明した基本的人権の分類のうち「自由権」と呼ばれるものになります。
すなわち、憲法上の権利は「国」が「国民」に対して保障しているものになるので、裏返すと表現行為や営業活動を国に不合理な理由で制限されることなく自由に行うことができる権利、という意味を表しています。
2、「公共の福祉」とは憲法上の権利を制限する概念
「1」で見たように、憲法では私たち国民に多くの「自由(権利)」を認めています。
では、自由なら無制限に自由に営業や表現ができるのか、宗教上の信仰を理由に何をしても良いのか、という疑問を持たれた方がいらっしゃるのではないでしょうか?
そこで問題になるのが、こうした権利を制約することが許されるのかという点や「公共の福祉」という概念の意味になります。
(1)公共の福祉の憲法における役割
例えば、表現の自由というのは、政治的な意見や信条などを、本やブログなどにして発表したりすることを自由にして良いということを保障するものです。
では、意見や信条などを発表する手段として、隣の人の家の壁に自分が書いた本やブログ記事を印刷して貼り付けるという行為も自由にして良いのでしょうか。
また、拡声器を使って大きな声で自分の意見を延々と昼も夜も述べて、周りの人の生活環境を悪化させても良いのでしょうか。
多くの方は、それは違うと考えられるでしょう。
こうした行為は、場合によっては隣の家の人の権利を侵害する行為だからです。
このように憲法上の権利は、無制限に認めると、他の人に保障されている権利を侵害してしまうのです。
これでは、すべての国民に基本的人権を保障することを定めたことと矛盾してしまいます。
憲法上の権利を認めるためには、それぞれが持つ権利を調整する必要が出てくるのです。
こうした調整の役割を果たしているのが「公共の福祉」という概念なのです。
(2)公共の福祉が登場する憲法の条文について
憲法上の権利の中で公共の福祉は、冒頭でご紹介した営業の自由を定める憲法第22条の他にも、プライバシー権など様々な権利の根拠となる憲法第13条においても
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
というように、「公共の福祉に反しない限り」という留保が設けられています。
この他にも、所有権などを保障する根拠となっている財産権について定める憲法第29条第2項においては、
2.財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
と公共の福祉に沿った内容であることを求めています。
全ての憲法上の権利にこうした公共の福祉という言葉が出てくるわけではありませんが、一部の権利を除き、憲法上の権利は無制約なものではなく、合理的な理由のある制約であれば許容されるというのが一般的な理解となっています。
3、もっと深掘り!公共の福祉の憲法学と判例における考え方
公共の福祉という概念については、これまで憲法を研究する学者や裁判の中でも度々問題となり考えられてきました。
ここでは、こうした公共の福祉という概念がどのように考えられてきたのかご紹介します。
(1)公共の福祉と憲法学の考え方
公共の福祉をどのように考えるかについては、憲法学においてもさかんに議論されてきました。
当初の学説では、公共の福祉というのは基本的人権を制約できる原理であり、公益や公共の安寧秩序などを理由に制約が許容されるという考え方をしていました。
しかし、これでは憲法によって保障される権利が簡単に制約されることになってしまいます。こうした問題点から現在では、このような考え方は取られていません。
その後、公共の福祉というのは、それぞれに保障されている人権が矛盾・衝突が起きる場合にこうした場面で調整を行う概念であると理解する見解が登場します。
この理解では、調整の結果、人権を制約することになる場合には必要最小限度の規制のみが認められるとされています。
(2)公共の福祉と判例の考え方
他方で、裁判例において公共の福祉はどのように考えられてきたのでしょうか。
昭和20年代から30年代の裁判例は、上記の憲法学と同様に、公共の福祉を一般的な基本的人権を制約できる原理として考えていました。
しかし、その後公務員の労働基本権の制約が問題となった事例で、
①制限は合理性の認められる必要最小限度にとどめること
②国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものを避けるため必要やむ得ない場合に限ること
③制限違反に対して科せられる不利益は必要な限度を超えないこと
④代償措置が講じられるべきであること
などを挙げ、これらが満たされる場合に、人権の制約が許容されるという考え方を示しています。
(3)現在の一般的な考え方
以上のように、学説も裁判例も公共の福祉について考え方の変遷はありましたが、現在では公共の福祉を理由に基本的人権が制約できるのは必要最小限度の範囲であるという基本的な発想は共通しています。
そこからさらに制約される基本的人権によって、制約の度合いが変わるというのが現在の一般的な理解となっています。
例えば、憲法上の権利にも様々な種類の権利がありますが、表現の自由のように精神的自由と呼ばれるものや、営業の自由のように経済的な自由もあります。
どちらの権利も重要な権利であることは言うまでもありませんが、一般的には精神的自由の方がより保護をするべきであると考えているのが現在の一般的な理解となっています。
というのも、表現の自由(発言や出版)を制限してしまうと、意見が外に出る機会が無くなってしまいます。
こうなってしまうと、様々な意見に触れた上で投票をして国民の代表を選んで政治を行うという、日本の現在のあり方に大きな影響を及ぼすことになってしまいます。
他方で、営業の自由に代表される経済的な自由はお金の問題となるため、後からお金を払うことで解決をすることが可能です。
こうした考え方から、現在では精神的自由については特に保護されるという考え方が一般的な理解となっています。
簡単にまとめると、現在の考え方では、公共の福祉というのは、
- それぞれの事例において制約される権利の性質を考慮
- 必要最小限の制約になっているか
といった観点で考えられています。
4、時事問題と公共の福祉や憲法上の権利について
では、現在の時事問題をこうした公共の福祉についての考え方を当てはめた場合、どのように考えることができるでしょうか?
(1)新型コロナウイルス感染症拡大防止を理由とした営業規制と営業の自由
2021年の現在では、新型コロナウイルス感染症がニューストピックとして取り上げられています。いくつかの自治体では、感染症拡大を防止するために飲食店を中心に営業時間の短縮や休業を要請しています。
飲食店を営む方々には、営業の自由を保障されていますから、飲食店を自分で決めた営業時間の範囲内で営業を行う自由があり、休業する日などは自由に決めることができるというのが原則です。
では、こうした自治体からの休業要請や営業時間の短縮の要請というのは認められるのでしょうか。
結論としては、現在の休業要請や営業時間の短縮の要請は、協力要請という形式を取っているため、あくまでも飲食店の経営者が自分の意思でこれに従っているというものになります。
そのため、営業の自由を制約していないという結論に傾きやすいように思われます。
ただし、協力要請であれば何でも許されるのかと言えば決してそうではありません。
例えば協力要請という形式にしていても、従わない場合には高額の罰金を科したり、飲食店の営業の認可を取り消すなどの不利益を科し、実質的にはその協力要請に従わなければならないような状態にするのであれば、これは飲食店の経営者が自分の意思で従っているのでは無く、従わされていると捉えることも可能でしょう。
この場合には、営業の自由を制約していると主張して争うことも十分考えられます。
(2)公共の福祉は営業規制の理由になるか?
では、仮に時短営業や休業が協力要請では無く、法律上の義務として定められた場合には、こうした法律の定めは、営業の自由を定める憲法に違反しないでしょうか?
営業の自由は憲法第22条第1項を根拠に認められると考えられていますが、「公共の福祉に反さない限り」と記載があるのだから、感染の拡大防止という理由があるのだから、認められるという考え方ができないというのは、ここまで読んで頂いた方は当然考えて頂けると思います。
一つの考え方としては、感染拡大防止という目的にとって、
- 時短営業や休業がどの程度効果を持っているのか
- 休業や時短をどの程度の期間行うのか
- こうした休業などによって受ける損害は填補されているのか
といった点が、大きな考慮要素になると思われます。
その上で、必要最小限度の制約と言えるのか、または合理的な範囲での制約と言えるのかといった点から検討されることになるでしょう。
いずれにしても、感染拡大防止を理由に公共の福祉が認められるから、制約が許されるのだという事にはなりません。
それぞれの事例の中で、これまでの裁判例や判断基準に従って、制約が許されるのかという点が争われることになります。
まとめ
公共の福祉について解説してきましたがいかがでしょうか。
公共の福祉というのは現在では権利ごとに様々な判断基準に基づいて、制約が許容されるのかという観点から判断がされています。
コロナウイルスの感染拡大が収まらない中で、飲食店などへの協力要請の形は今後も変化していく可能性が考えられます。
現在は協力の要請といえても、今後はそうは言えないような内容へ変化していくことが考えられます。
協力要請に従うのが義務になっているのでは無いか、従わなければならないのかなどお悩みの方に本記事が参考になれば幸いです。