『尊属殺人』とは?
この記事では、
- 尊属殺人罪の定義
- 重罰規定の廃止理由
- そして現代の親殺し事件における刑罰の傾向
について弁護士がわかりやすく解説します。
目次
1、尊属殺人罪とは
まずは、かつて刑法に規定されていた尊属殺人罪とは何かをご説明します。
(1)尊属殺人罪の定義
平成7年5月31日まで、日本の刑法には第200条に以下の規定が存在していました。
「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」
つまり、尊属殺人罪とは、自己または配偶者の直系尊属を殺害する犯罪のことです。
直系尊属とは、血のつながりが直通する親族のうち、自分より前の世代の人を指します。
具体的には、父母、祖父母、曾祖父母などが該当します。法律上の親族関係にある養父母も含まれます。
伯父・伯母などは直系ではなく傍系の親族に当たるため、尊属殺人罪の対象にはなりません。
また、直系の親族でも子・孫・曾孫など自分より後の世代の人は卑属に当たるため、やはり尊属殺人罪の対象ではありません。
(2)通常の殺人罪より刑罰が加重されていた理由
尊属殺人罪の刑罰は、以下のように通常の殺人罪(刑法第199条)の刑罰よりも重く定められていました。
罪名 | 刑罰 |
尊属殺人罪 | 死刑または無期懲役 |
殺人罪 | 死刑または無期もしくは5年以上の懲役 (平成16年改正以前の下限は3年以上) |
このように尊属殺人罪の刑罰加重されていた理由には諸説ありますが、一般的に尊属のことを尊重すべき、敬愛すべき、といった倫理観は社会生活を営む上で基本的なものであり、人間として自然に有する情愛の念でもあると考えられていたことが一つの理由です。
そのため、社会秩序を維持するためには、このような倫理観を維持する必要があり、そのために重い刑罰を設けることにより、尊属殺人を厳重に禁じたものとする説が有力です。
(3)殺人罪以外にも尊属重罰規定が存在していた犯罪
上記の理由から、平成7年以前の刑法では、以下のように殺人罪以外にも尊属が被害者となった場合に刑罰を加重していた犯罪類型がありました。
罪名 | 刑罰 | |
傷害致死罪 (刑法第205条) | 尊属傷害致死罪 | 無期または3年以上の懲役 |
通常の傷害致死罪 | 2年以上の有期懲役 (平成16年改正後は3年以上の有期懲役) | |
保護責任者遺棄罪 (刑法第218条) | 尊属遺棄罪 | 6ヶ月以上7年以下の懲役 |
通常の保護責任者遺棄罪 | 3ヶ月以上5年以下の懲役 | |
逮捕監禁罪 (刑法第220条) | 尊属逮捕監禁罪 | 6ヶ月以上7年以下の懲役 |
通常の逮捕監禁罪 | 3ヶ月以上5年以下の懲役 |
これらの尊属重罰規定も、現在では尊属殺人罪の規定とともに削除されています。
2、尊属殺人罪の規定がなくなった理由
尊属殺人罪の規定がなくなったのは、単に時代の背景が変化したといった理由だけでなく、さらに切実な理由によるものです。以下で、詳しく解説します。
(1)平成7年に刑法から削除
尊属殺人罪の規定は、昭和48年に最高裁判所で「憲法第14条1項に違反するため無効である」という判決が下されました。
その後も刑法上に規定は残り続けましたが、最高検察庁からの通達により適用されなくなり、事実上、この規定は死文化したのです。そして、平成7年から施行された改正刑法において、正式に第200条の規定が削除されました。
(2)理由は通常の殺人罪と比べて刑罰が重すぎるから
なぜ尊属殺人罪の規定が削除されたのかというと、通常の殺人罪と比べて刑罰が重すぎたからです。
通常の殺人罪なら法定刑の下限が「5年以上の懲役」(平成16年刑法改正以前は法定刑の下限は3年以上の懲役)なので、減刑を考慮すると有罪となっても執行猶予がつくケースもあります。
一方、尊属殺人罪では法定刑の下限が「無期懲役」なので、最大限に減刑しても執行猶予を付けることはできません。
しかし、尊属殺人の事案でも、執行猶予をつけなければ被告人にとって酷となるケースはあり得ます。
むしろ、親子間のしがらみを背景として、通常の殺人の事案よりも被告人に情状酌量すべきケースも少なくありません。
それにもかかわらず、殺害した相手が尊属だということだけで、執行猶予が認められないのは不合理だと言われていたのです。
なお、執行猶予は刑期が3年以内の懲役・禁錮、または50万円以下の罰金刑を言い渡す場合にしかつけることができません(刑法第25条1項)。
通常の殺人罪なら法定刑の下限が「5年」の懲役であり、法定減軽または酌量減軽のどちらかが認められると「2年6ヶ月」にまで減刑される(刑法第68条3号)ので、執行猶予をつけることが可能です。
尊属殺人罪では法定刑の下限が「無期懲役」であり、法定減軽と酌量減軽の両法を適用しても「3年6ヶ月」までしか減刑できず(刑法第68条2号、3号)、執行猶予がつけられないのです。
3、尊属殺人罪の規定がなくなるきっかけとなった違憲判決
昭和48年に、最高裁判所で尊属殺人罪の規定が「憲法違反」であるという判決が言い渡されました。この判決がきっかけとなって尊属殺人罪の規定が削除されることになったのです。
子が親を殺害した事案ですが、まさに執行猶予をつけなければ、被告人にとってあまりにも酷なケースでした。以下で、事案の概要と裁判の経過、最高裁判所の結論をご紹介します。
なお、最高裁判決の全文はこちらでご確認いただけます。
(1)事案の概要
事案は、29歳の女性が実父を殺害したというものです。この女性は14歳のときから実父による性的虐待を受けていました。10年以上にわたって夫婦同然の生活を強いられ、その間に5人の子どもを出産しました。逃げ出そうとしても実父からの暴力によって連れ戻され、また、逃げると妹が同じ目に遭うおそれがあったことから、逃げ出すわけにもいかなかったのです。
やがて、この女性にも職場で出会った男性と正常な結婚をする機会がめぐってきました。しかし、実父は結婚に反対し、女性を自分の支配下に置き続けようとして、10日以上にわたって自宅に監禁し、脅迫や性的虐待を繰り返しました。
ついに女性は耐えかねて、忌まわしい境遇から逃れるために実父を殺害し、自首したのです。
(2)裁判の経過
第一審の宇都宮地方裁判所では、尊属殺人罪の規定は違憲であると判断し、通常の殺人罪の規定を適用しました。その上で、女性の殺害行為が「過剰防衛」に当たるとして刑を免除しました(刑法36条2項)。
しかし、第二審の東京高等裁判所では、一転して尊属殺人罪の規定は合憲であると判断し、過剰防衛も認めませんでした。最大限の減刑(心神耗弱減軽と酌量減軽)は行われましたが、懲役3年6ヶ月の実刑判決が言い渡されたのです。
そして、最高裁判所では、再び尊属殺人罪の規定は違憲であると判断し、通常の殺人罪の規定を適用しました。その上で最大限の減軽を行い、懲役2年6ヶ月、執行猶予3年の判決が言い渡されました。
結果として、被告人の女性は長期間勾留されたものの、実刑は回避することができたのです。
(3)最高裁判所の結論は「憲法14条違反」
最高裁判所は、尊属殺人罪の規定は「憲法14条違反」、つまり法の下の平等に違反するため無効だと判断しています。
尊属殺人罪の犯人が通常の殺人罪の犯人よりも重く処罰されることが法の下の平等に違反すると言っているわけではありません。尊属のことを尊重すべき、敬愛すべき、といった倫理観を維持するために重い刑罰を科すこと自体は不合理とはいえず、憲法14条に違反するものではないと述べています。
しかし、「死刑または無期懲役」のみという法定刑はあまりにも重すぎ、法律上許される2回の減刑を加えても刑の下限が3年6か月を下ることがない結果、いかに酌量すべき情状があっても法律上の刑の執行を猶予できないなどの点で、立法目的達成のために必要な限度を超え、合理的根拠に基づく差別的取扱として正当化できないとし、通常の殺人罪と比べて著しく不合理な差別的取り扱いに当たる、と判断しているのです。
現在であれば、尊属を殺害したケースとそれ以外の殺人のケースとで法定刑に差を設けること自体が、憲法14条違反に当たると判断される可能性もあるかもしれません。
この判決の補足意見でも、尊属とそれ以外を区別することが違憲であるという意見もあります(田中補足意見)。
いずれにせよ、この最高裁判決の後は尊属殺人罪の規定は適用されなくなり、判決から22年後の平成7年に削除されました。
4、現在における親殺し事件の刑罰の傾向
それでは、尊属殺人罪の規定がなくなった現在において、親殺し事件にはどのような刑罰が科せられているのでしょうか。
(1)一般的な殺人事件よりも刑が軽いことも少なくない
当然ながら、尊属を殺害したという理由で刑罰が加重されることはなくなっています。
被害者が尊属なのか第三者なのかということよりも、どのような動機や経緯で殺害に至ったのか、どのような方法で殺害したのか、といった事案の内容が重視されて、刑罰が決められています。
その点、情愛で結ばれているはずの親子間で殺人が起こる場合、やむにやまれぬ葛藤があり、第三者を殺害した事案とは比較にならないほど特別な情状が、背景にあることが多いものです。
そのため、親殺し事件では一般的な殺人事件よりも刑が軽いことも少なくありません。
ただし、そもそも殺人事件の法定刑は非常に幅が広く、量刑は事案の内容によって大きく異なります。
親殺し事件だからといって一般的に量刑が軽くなるわけではなく、重い刑罰が科せられた事例も数多くあります。
とはいえ、尊属殺人罪の規定が適用された場合に比べると妥当な量刑が可能になったことは間違いありません。
(2)介護殺人では執行猶予が付くことも
近年の親殺し事件では、年老いた親の介護に疲れ、あるいは将来を悲観して殺害に至るという「介護殺人」のケースがたびたび発生しています。
2006年7月に、認知症の母親を殺害した息子に執行猶予付き判決(懲役2年6ヶ月、執行猶予3年)が言い渡され、「温情判決」として社会的な話題となりました。覚えている方も多いのではないでしょうか。
この事例で被告人となった息子は、母親に対する深い愛情を抱き続けながらも、過酷な状況に追い込まれて万策尽き果ててしまいました。最終的に親子心中を決意して母親を絞殺したものの、自殺は未遂となり生き残ったという事案です。
先ほどの最高裁判例における女性のケースと同様、被告人に酌むべき経緯があるものであり、執行猶予つけるべき理由があります。
尊属殺人罪の規定がなくなったことで、妥当な量刑が可能になったといえます。
5、罪に問われたときは弁護士に相談を
親殺し事件にせよ、第三者を殺害した事件にせよ、量刑はケースバイケースです。
事案の内容次第で、死刑となる可能性もあれば、執行猶予が認められる可能性もあります。
もしも、ご自身や身近な方が殺人罪に問われてしまったときは、弁護士へのご相談をおすすめします。
相談するだけでも、量刑の見通しや、刑事裁判を見据えた対処法についてアドバイスが得られます。
弁護士に依頼すれば、接見で取り調べへの対応方法をアドバイスしてもらえますし、被害者側遺族との示談交渉も代行してくれます。
刑事裁判でも、有利な情状をはじめとする減刑要素を主張・立証してもらえます。
妥当な量刑判断を得るためには、早めに刑事弁護の経験が豊富な弁護士に私選で依頼し、サポートを受けた方がよいでしょう。
尊属殺人罪に関するQ&A
Q1.尊属殺人罪とは
尊属殺人罪とは、自己または配偶者の直系尊属を殺害した犯人を、通常の殺人罪よりも重く処罰する犯罪のことです。
かつては刑法に規定されていましたが、長年にわたって死文化し、現在では削除されています。したがって、現在の日本の法律に尊属殺人罪という規定はありません。
Q2.尊属殺人罪の規定がなくなった理由
尊属殺人罪の規定がなくなったのは、単に時代の背景が変化したといった理由だけでなく、さらに切実な理由によるものです。
①平成7年に刑法から削除
尊属殺人罪の規定は、昭和48年に最高裁判所で「憲法第14条1項に違反するため無効である」という判決が下されました。
その後も刑法上に規定は残り続けましたが、最高検察庁からの通達により適用されなくなり、事実上、この規定は死文化したのです。そして、平成7年から施行された改正刑法において、正式に第200条の規定が削除されました。
②理由は通常の殺人罪と比べて刑罰が重すぎるから
なぜ尊属殺人罪の規定が削除されたのかというと、通常の殺人罪と比べて刑罰が重すぎたからです。
通常の殺人罪なら法定刑の下限が「5年以上の懲役」(平成16年刑法改正以前は法定刑の下限は3年以上の懲役)なので、減刑を考慮すると有罪となっても執行猶予がつくケースもあります。
一方、尊属殺人罪では法定刑の下限が「無期懲役」なので、最大限に減刑しても執行猶予を付けることはできません。
しかし、尊属殺人の事案でも、執行猶予をつけなければ被告人にとって酷となるケースはあり得ます。
むしろ、親子間のしがらみを背景として、通常の殺人の事案よりも被告人に情状酌量すべきケースも少なくありません。
それにもかかわらず、殺害した相手が尊属だということだけで、執行猶予が認められないのは不合理だと言われていたのです。
Q3.現在における親殺し事件の刑罰の傾向
それでは、尊属殺人罪の規定がなくなった現在において、親殺し事件にはどのような刑罰が科せられているのでしょうか。
・一般的な殺人事件よりも刑が軽いことも少なくない
当然ながら、尊属を殺害したという理由で刑罰が加重されることはなくなっています。
被害者が尊属なのか第三者なのかということよりも、どのような動機や経緯で殺害に至ったのか、どのような方法で殺害したのか、といった事案の内容が重視されて、刑罰が決められています。
その点、情愛で結ばれているはずの親子間で殺人が起こる場合、やむにやまれぬ葛藤があり、第三者を殺害した事案とは比較にならないほど特別な情状が、背景にあることが多いものです。
そのため、親殺し事件では一般的な殺人事件よりも刑が軽いことも少なくありません。
ただし、そもそも殺人事件の法定刑は非常に幅が広く、量刑は事案の内容によって大きく異なります。
親殺し事件だからといって一般的に量刑が軽くなるわけではなく、重い刑罰が科せられた事例も数多くあります。
とはいえ、尊属殺人罪の規定が適用された場合に比べると妥当な量刑が可能になったことは間違いありません。
まとめ
尊属殺人罪の規定は平成7年に削除されましたが、殺人罪の量刑が軽くなったということではありません。むしろ、近年では重罰化の傾向が顕著に見受けられます。
被疑者が一人で取り調べに対応していると、不利な供述調書が作成され、不当に重い刑罰を科せられてしまう可能性があります。
万が一、罪に問われたときは弁護士のサポートを受けるようにしましょう。