離婚に際して、夫が退職金を支給しないという問題は、特に「熟年離婚」の増加に伴い、頻繁に発生しています。このような場合、妻は夫から退職金の支給を請求できるのでしょうか?もしできる場合、その金額はどれくらいになるのでしょうか?
この記事では、夫が退職金を支給しない場合に妻が持つ権利、夫の退職金から妻が受け取るべき取り分、そして確実に夫の退職金を財産分与として受け取る方法について、弁護士が詳細に説明します。
この記事が、夫が退職金を支給しないことに悩む離婚希望者の方々にとって有益であることを願っています。
目次
1、夫が退職金を渡さない…妻の権利は?
そもそも夫の退職金について、妻が何らかの権利を主張できるのでしょうか。これについて考える前提として、「夫婦共有財産」について説明します。
(1)夫の退職金は誰のもの?
民法は、結婚中に築いた夫婦の財産の帰属について、次の2種類を定めています(762条)。
- 特有財産…配偶者の協力とは無関係に形成された財産。例えば、結婚する前から所有していた財産や、親からの相続・贈与などにより得た財産がこれにあたります。
- 夫婦共有財産…結婚後に夫婦が協力して築いた財産。特有財産以外の財産は全て含まれます。夫婦いずれか一方の名義となっている預金や不動産などもこれにあたります。
(夫婦間における財産の帰属)
第762条 夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。
2 夫婦のいずれに属するか明らかでない財産は、その共有に属するものと推定する。参照:民法 e-gov法令検索
これらのうち、離婚に際し財産分与の対象となるのは夫婦共有財産です。特有財産は財産分与の対象とはなりません。
夫が受け取った退職金は、夫のこれまでの勤続に対して夫自身に支給されるものです。
しかし、夫の勤続は家事など妻の協力があって成り立ちます。
そこで、退職金も配偶者の協力が関与している限度で夫婦共有財産となり、財産分与の対象とされるのです。
なお、まだ退職金が支給されておらず、将来支給される予定の場合はこちらもご参照ください。
(2)夫婦共有財産の対象となる範囲
もっとも、夫の退職金の全部が夫婦共有財産となるわけではありません。夫の勤続に対する妻の貢献度に応じて夫婦共有財産となります。具体的には、次の計算式で算出されます。
退職金額÷勤続年数×婚姻年数(別居期間は除く)
例)夫に退職金2000万円が支払われた。勤続年数は40年で、その間結婚していた年数(婚姻年数)は30年だった。
2000万円÷40×30=1500万円
この場合、1500万円が夫婦共有財産とみなされ、財産分与の対象となります。
そして、財産分与の割合は原則として「夫婦で半分ずつ」となるので、具体的な妻の取り分は1500万円の2分の1である750万円となるのが一般的です。
2、離婚しない場合でも夫に退職金の分与を請求できる?
では、「離婚はしないけれど退職金の半分を渡してほしい」「別居するので退職金の半分を渡してほしい」といった請求をすることはできるのでしょうか。
理論上は、これも不可能ではありません。
なぜなら、婚姻中であっても、夫婦共有財産については原則として「夫婦で半分ずつ」の持分が認められるからです。
もっとも、離婚していない状態で退職金を分けると、贈与税がかかるなどのデメリットがあるため、婚姻中に退職金を請求するのは得策とはいえません。
また、別居する場合も、同様の理由から夫婦共有財産の分割ではなく婚姻費用(=夫婦が婚姻生活を維持するために必要な費用)として請求した方がよいでしょう。
3、離婚する場合は夫が受け取った退職金も財産分与の対象になる?
離婚する場合は、夫の退職金も財産分与の対象になります。
(1)夫婦共有財産に該当する部分は対象になる
上で述べたように、夫の退職金のうち、夫婦共有財産にあたる部分は財産分与の対象となります。
具体的に請求できる額は、共働き・専業主婦にかかわらず原則としてその2分の1となります。
もっとも、後で述べるように、夫婦間で財産形成の貢献度に明らかな差がある場合などは割合が修正されることもあります。
(2)退職から長期間が経過している場合は要注意
注意が必要なのは、夫に退職金が支給されてから離婚するまでに長期間が経過している場合です。この場合、退職金が消費されてしまう可能性があります。
離婚の時点で退職金が手元に残っていないと、これを財産分与として請求することは原則としてできません。
離婚時において既に消費してなくなってしまった財産が、遡って財産分与の対象となるわけではないからです。
4、退職金を使われてなくなっている場合は財産分与として請求できない?
このように、夫の退職金が消費されてしまうと、退職金を財産分与として請求することは原則としてできません。ただし、夫に退職金が支給されてから離婚するまでの間に別居期間がある場合は、既に消費された退職金も財産分与として請求できることがあります。
この場合、退職金が消費されたのが別居の後か前かによって扱いが異なります。
(1)別居後に消費された場合
別居後に夫が退職金を消費してしまった場合は、消費された退職金も財産分与の対象となります。離婚までに別居期間がある場合、財産分与の対象は「別居時点で存在した財産」とするのが裁判実務の傾向だからです。
財産分与には、離婚にあたってそれまで夫婦が協力して築き上げた財産を清算するという意味合いがあります。
したがって、夫婦の協力があった期間、つまり別居時までに存在する財産は財産分与の対象となるのです。
こうして、いったん財産分与の対象となった退職金を、別居後に夫がこれを消費してしまったとしても、財産分与の対象となります。
(2)別居前に消費された場合
これに対し、別居前に退職金が消費された場合は、これを財産分与として請求することは原則としてできません。別居前、つまり夫婦が同居している間に消費されたということは、夫婦が共同してこれを消費したとみなされるからです。
ただしこの場合でも、例えば妻が倹約した生活をしていたのに夫が浪費をしていたようなケースでは、退職金以外の財産の分与について2分の1を超える割合で請求できる可能性があります。
財産分与の割合は原則として2分の1ですが、この原則を修正することで退職金以外の取り分を多くし、夫が消費してしまった退職金の分を取り戻せる場合があるのです。
なお、財産分与の「2分の1ルール」が修正されるケースとしては、次のようなものがあります。
- 夫婦の一方が著しい浪費をし、これによって夫婦共有財産が減少した場合
- 夫婦の一方が特別な才能によって高収入を得ており、夫婦共有財産の形成に対する夫婦の貢献度に著しい差がある場合(例:夫が開業医で妻が専業主婦など)
- 夫婦の一方の特有財産により財産を形成した場合(例:夫が親から相続したお金によって夫婦の住居を購入)
- 共働きで夫婦が同等の収入を得ていたが、家事や子育てについては夫婦の一方のみがほぼ一人で行っていた場合
これらの場合は、2分の1ルールが修正され、財産形成の貢献度に見合った財産分与が認められることがあります。
5、退職金を渡さない夫との離婚で適正な財産分与を獲得する方法
夫の退職金が財産分与の対象になったとして、次に問題となるのは財産分与を確実に獲得する方法です。以下では、その方法について説明します。
(1)夫名義の財産を確認する
まず、財産分与の対象となる財産がいくらあるのか、退職金の額や残高を含めた夫名義の財産を確認する必要があります。
不動産や自動車などは比較的把握しやすいですが、銀行の預金や生命保険、有価証券など、夫自身でなければその詳細が分からない財産もあるものです。
以下でご説明するように、本格的な財産調査の方法は、調停や裁判を行うことを前提としたものになります。
一般的に財産分与を請求する際には、後の(3)でご説明するように、まずは夫婦で話し合いを行います。
そのため、話し合いをする前に可能な限り、夫名義の財産を探って把握することが重要です。
「まだ他にも財産があるはず」と考えられる場合で、どうしても自力での調査が難しい場合には、以下の方法を検討しましょう。
- 弁護士会照会制度
弁護士会照会とは、調停や訴訟などの手続をする際に必要となる資料や証拠を、弁護士会を通じて収集する制度です(弁護士法23条の2)。離婚のための諸手続きを弁護士に依頼した場合にのみ利用できます。
具体的には、銀行や保険会社、証券会社などに対して、夫名義の財産がないか回答を求めます。
また、市区町村に対し不動産の固定資産税台帳などの開示を求め、夫名義の不動産を発見することも可能です。ただし、夫の同意がない限り、情報開示を拒否されることが多いのが実情です。
- 調査嘱託制度、文書送付嘱託制度
これらは、裁判所を通じて行う財産調査の制度です。
離婚ための調停や訴訟の段階に入った後、裁判所に申立てをし、必要と認められた場合に裁判所が金融機関や官公庁などに対して調査と回答、文書の送付を依頼します(民事訴訟法186条、226条)。
これらも、依頼を受けた側は正当な理由がない限り応じる義務があるとされています。
弁護士会照会では応じてもらえないケースでも、裁判所という公的機関からの依頼ということで、ほとんどの場合は応じてもらえます。
これらの制度を利用するためには、いずれも夫の財産についてある程度目星を付けておく必要があります。また、申立てのための書面の作成も必要になります。効果的に情報を収集するためには、弁護士に依頼するのがよいでしょう。
(2)保全処分も検討する
夫の財産が把握できたとしても、財産分与を嫌がる夫が、離婚前に共有財産を隠したり処分してしまうおそれがあります。
そうなると、妻が適正な財産分与を獲得することは難しくなります。そのような事態を防ぐために保全処分という手続きがあります。これは、裁判所に申立てをし、夫に対し財産を勝手に処分するのを禁ずる命令(保全命令)を出してもらう手続きです。
財産分与を確保するために利用できる保全処分にはいくつか種類があります。既に離婚が成立しているかどうかに応じて、以下の方法をとるのが一般的です。
- まだ離婚が成立しておらず、裁判所に対して離婚の成否とあわせて財産分与の判断を求める場合
→人事訴訟法上の保全処分(人事訴訟法30条、民事保全法23条ほか) - 既に離婚が成立しており、裁判所に対して財産分与の判断のみを求める場合
→審判前の保全処分(家事事件手続法105条)
なお、いずれの方法を用いるにしても、保全命令が認められるためには
- 保全すべき権利の存在
- 保全の必要性
を疎明しなければなりません(民事保全法13条)。
「保全すべき権利の存在」とは、財産分与の権利が実際に存在することを指します。
「保全の必要性」とは、夫が財産を隠したり処分してしまうおそれのことを指します。
「疎明」とは、裁判官に一応確からしいという程度の心証を得させることをいいます。
裁判所に対する保全処分の申立てにはスピーディーさが求められます。
また、上記の事項を疎明するためには、法的な知識も必要となります。財産分与のための保全処分を行う際には、弁護士に依頼することをおすすめします。
(3)話し合って決める
夫婦共有財産を全てリストアップし、財産分与の対象が確定したら、財産分与の実行に移ります。
最も望ましいのは、どの財産をどちらが取得するのか、またその割合などを夫婦間の話し合いで決めることです。
既に述べたように、財産分与の割合は原則として「夫婦で半分ずつ」となりますが(2分の1ルール)、これはあくまでも離婚や財産分与について裁判所に判断を仰いだ場合のルールです。
夫婦の話し合いで、これと異なる割合を決めることには何ら問題はありません。
もっとも、財産分与の話し合いは、お互いの感情のもつれや財産評価の複雑さなどから、スムーズに進めることが難しくなります。
また、いったん合意ができても、後日その内容をめぐってトラブルになることも少なくありません。そのようなトラブルを防ぐためにも、夫婦間の話し合いの段階で弁護士などに依頼し、合意書を作成するなどしておくのがよいでしょう。
(4)合意できなければ調停・裁判を
夫婦間での財産分与の話し合いがうまくいかず、合意に至らなかった場合は、裁判所を介した手続きを利用することになります。具体的には以下のような手続きを用います。
- まだ離婚が成立しておらず、裁判所に対して離婚の成否とあわせて財産分与の判断を求める場合
→夫婦関係調整調停(離婚) - 既に離婚が成立しており、裁判所に対して財産分与の判断のみを求める場合
→財産分与請求調停
※こちらは、離婚が成立した日から2年以内に申し立てる必要があります。
申立ては、いずれも相手方の住所地を管轄する家庭裁判所に対して行います。
調停では、調停委員と呼ばれる第三者が間に入り、当事者双方の主張を聞いて合意の可能性を探っていきます。
調停で合意できた場合は調停調書が作成されます。この調停調書には強制執行力があり、相手が約束どおりに支払いをしないときは、財産の差押さえや登記移転などを強制的に行うことができるようになります。
調停で合意に至らなかった場合は、審判や訴訟といった手続きに進みます。
なお、離婚調停、財産分与請求調停の手続きについてはこちらもご参照ください。
6、夫が退職金を渡さない問題でお困りなら弁護士に相談を
財産分与の調停や審判、訴訟はいずれも本人のみで行うことも不可能ではありません。
しかし、書面の作成や証拠の収集など煩雑な作業が多く、決着まで長期間に及ぶなど、精神的・身体的・時間的負担が非常に大きくなります。
これらの手続きを弁護士に依頼すれば、次のようなメリットがあります。
- 書面の作成・収集やその他の煩雑な手続きを任せられる。
- 相手の財産調査も任せられる。
- 調停委員から言いくるめられたり、不利な条件を押し付けられる危険がなくなる。
- 調停での合意内容が妥当かどうかの判断を任せられる。
- 調停が不調に終わった場合、その後の訴訟なども任せられる。
- 仕事や家事でどうしても裁判所の期日に出席できないときは、弁護士が代理で出席することができる(ただし、必ず本人が出席しなければならない期日もあります)。
まとめ
ここまで、
- 夫が退職金を渡さない場合の妻の権利
- 夫の退職金に対する妻の取り分
- 夫の退職金から財産分与を確実に受ける方法
について解説してきました。
近年増えつつある熟年離婚のケースでは、夫が退職金を渡してくれないという問題が起こりがちです。離婚に際して夫が退職金を渡してくれずお悩みの方は、早めに弁護士にご相談ください。