相続が開始した後、被相続人の債務の弁済をしなければならない、被相続人に扶養されていた相続人の生活費を支弁する必要があるなど、亡くなった方の預貯金を引き出したいと思うこともあるでしょう。
しかし、相続が開始すると、被相続人の口座は凍結され、原則として引き出しができなくなるため、右往左往してしまうケースも珍しくありません。
そこで今回は、
- 亡くなった家族名義の預貯金の取り扱い
- 家庭裁判所の仮分割仮処分を利用して預貯金を引き出す方法
- 改正相続法により新たに創設された家庭裁判所の手続を経ずに預貯金の払戻しを受ける制度の利用方法
などについてまとめました。2つの方法のメリット・デメリットについても解説します。
家族が亡くなり、預貯金をどうしたらよいのか困っている方や、相続について不安がある方は、是非活用になさってください。
預貯金の相続に関して詳しく知りたい方は以下に掲載されている記事もご覧ください。
1、預貯金の仮払い制度についてお話しする前に
人が亡くなった場合には、それに付随してさまざまな支払いの必要が生じることがあります。
例えば、病院への支払いや、葬儀費用、場合によってはお墓の購入費用や、被相続人の借金の弁済、被相続人の財産を処分する費用などが必要となることがあるでしょう。また、相続人が被相続人の収入や預貯金に頼って生活していた場合には、日々の生活のために被相続人が残した預貯金が必要ということもあるでしょう。
被相続人の預貯金債権は相続財産に含まれますので、原則として、遺産分割が完了するまでは、相続人は金融機関から払戻しを受けることができません。
しかし、上記のように、被相続人の預貯金から払戻しを受ける必要性がある場合に、一切の払戻しを受けられないとすると、相続人が生活に困窮するなどの不利益が生じる可能性があります。そのため、この問題を解決するために、遺産分割が完了する前に預貯金の一部について払戻しを受けることができる制度があります。
以下では、被相続人名義の預貯金の取り扱い、遺産分割協議前に預貯金の払戻しを受ける制度について解説します。
2、被相続人名義の預貯金の取り扱い
(1)死亡した人の預貯金口座は凍結される
金融機関は、口座名義人の死亡の事実を知ると、不正出金を防ぐためその名義人の口座を凍結します。
口座が凍結されれば、預貯金の名義変更・解約はもちろんのこと、預金の引き出しもできなくなってしまいます。
金融機関が口座名義人の死亡を知るのは、利害関係人(相続人など)からの連絡による場合が最も多いといえますが、新聞の訃報欄や葬儀案内の張り紙や看板などから口座名義人の死亡を知ることもあります。
(2)死亡した人の預貯金を引き出すことができるのは、遺産分割後
被相続人の預貯金について払戻を受けるためには、原則として遺産分割が終了していることが必要です。
有効な遺言書がある場合は比較的すぐに払戻しを受けることができますが、そうでない場合は、遺産分割協議や遺産分割調停・審判を経なければなりません。遺産分割協議や遺産分割調停・審判は、相続人全員によってなされなければなりませんから、連絡のつかない相続人がいる場合や、遺産分割が難航した場合には、預貯金の引き出しができるようになるまで相当の時間がかかってしまうこともあります。
なお、遺産分割終了後に、被相続人が名義人となっている口座について預貯金の払戻しを受けるために必要な書類は下記のとおりです。金融機関によって必要となる書類が異なることがありますので、事前に金融機関のホームページでご確認ください。
- 口座名義人(被相続人)の出生から死亡までの戸籍謄本
- 通帳、キャッシュカードなど
- 相続人(預貯金の払戻を受ける人)の現在の戸籍謄本
- 相続人の実印・取引印
- 相続人の印鑑証明書
- 遺産分割協議書(もしくは法的に有効な遺言書)
(3)法定相続分だけでも引き出すことはできないのか?
過去に相続の経験がある人には、「前は、相続手続が終わる前でも預金を引き出せたはず」と思う人もいるかもしれません。たしかに、以前は、預貯金などは相続開始と同時に他の相続人の同意がなくても法定相続の割合で自分の相続分を引き出すことができました。
しかし、平成28年12月に最高裁判所の大法廷が、
「共同相続された普通預金債権,通常貯金債権及び定期貯金債権は,いずれも,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく,遺産分割の対象となるものと解するのが相当である。」
と判示し、それまでの判例を変更しました(最大決平成28年12月19日民集70巻8号2121頁)。
さらに、最判平成29年4月6日集民第255号129頁は、定期預金及び定期積金についても、「相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはないというべきである。」と判示し、遺産分割の対象となると判断しています。
遺産分割の対象となったものは、相続人全員の共有財産になるため、遺産分割協議を経なければ相続人の個々が勝手に処分することはできません。上記の判例から、預金債権も遺産分割の対象となりますので、金融機関は、相続開始を知ると、被相続人名義の口座を凍結し、遺産分割が終了するまで、原則として払戻しを行わないという運用をしています。
3、家庭裁判所の仮分割仮処分を利用して預貯金を引き出す方法
遺産分割協議や遺産分割調停・審判が難航し、すぐに遺産分割ができないという場合には、被相続人名義の預貯金債権の払戻しを受けられないとすると、困った事態になることもあると思います。その場合に、払戻しを受けることができる制度の1つが、家庭裁判所による仮分割仮処分です。(家事事件手続法200条3項)。
この制度は、遺産分割調停又は審判が申し立てられていることを前提として、被相続人の葬儀代や、相続人の生活費に充てるため等仮払いの必要性が認められ、他の相続人の利益を害しない場合に、特定の相続人が裁判所の認める額について払戻しを受けることができるというものです。
(1)仮分割仮処分を得るために必要な書類・手続
家庭裁判所の仮分割仮処分は、保全手続きの一種であり、遺産分割調停もしくは遺産分割審判を申し立てていることを前提とするものです。したがって、預貯金の仮分割仮処分を利用するためには、その前提として遺産分割調停・審判を申し立てていなければなりません。
仮分割仮処分を申し立てるためには、申立書のほかに、戸籍関係書類や遺産関係書類、保全処分の必要性等を示す書類の提出が必要です。
仮処分の申立てを行うと、裁判所が仮処分の必要性や他の相続人の利益を害するかどうかについて審理し、判断します。審理の中で、裁判所は、審判を受ける者の陳述を聴かなければならないとされています。
仮処分命令が出された後に、金融機関で預貯金を引き出す際には、預貯金の仮分割仮処分についての裁判所の審判書の謄本(や審判確定書)、払戻しを受ける人の印鑑証明書なども必要となります。金融機関により必要な書類が異なりますので、事前にご確認ください。
(2)仮分割仮処分を利用した場合に引き出せる金額
家庭裁判所の仮処分による預金の引き出しは、亡くなった人の借金の返済や、相続人の生活費や葬儀費用の支払いなど、預貯金の引き出しの必要が現に生じているときに限り認められるものです。そのため、それぞれのケースにおける預金引き出しの目的に応じて、裁判所が認めた金額のみを引き出すことができます。
後述する遺産分割前の預貯金の払戻し制度では、各金融機関につき150万円までという上限がありますが、仮分割仮処分の場合には、上限は設けられていません。そのため、高額の需要がある場合には、こちらの利用を検討することになります。
(3)仮分割仮処分の効果
仮処分命令が出された場合、申し立てた相続人は、預貯金債権を仮に取得することになります。そして、仮分割仮処分がされた場合、遺産分割調停・審判においては、仮分割された預貯金債権を含めて遺産分割の調停・審判を行います。
(4)仮分割仮処分の問題点
仮分割仮処分によって預貯金の払戻しを受けるためには、遺産分割の調停又は審判の申立てをしなければなりません。裁判所での遺産分割を行うことに抵抗を感じる方もいらっしゃるでしょう。また、相続人間の遺産分割協議が順調に進んでいる場合には、調停や審判を申し立てることにより、相続人の関係がこじれてしまうこともあるかもしれません。
加えて、仮分割仮処分の場合には、遺産分割調停・審判の申立てと仮処分の申立てをしなければなりませんので、必要書類を作成したり、収集したりするのに時間や手間がかかります。また、前述したとおり、審理の中で、審判を受ける者の陳述を聴かなければならないとされていますので、裁判所が判断するまでに時間がかかります。
4、新たに創設された遺産分割前の預貯金の払戻し制度
上述した仮分割仮処分により払戻しを受ける方法は、払戻しまでに時間がかかるため、小口の資金需要に迅速に対応することを可能にすることを目的として、令和元年7月1日から施行された改正相続法によって、家庭裁判所の判断を経ずに遺産分割前に払戻しを受けることができる制度が新設されました(民法909条の2)。
この制度を俗に「預貯金の仮払い制度」と呼ぶこともあります。
なお、この制度は、相続を開始した日が施行日の令和元年7月1日より前であっても払戻しの請求をする日が施行日以降であれば利用することができます。
(1)遺産分割前の払戻し制度で引き出すことのできる預貯金の金額
民法の規定によれば、この新しい制度で引き出すことのできる預貯金の金額は、下記の計算式によって決まります。
①被相続人の各預貯金債権の額×1/3×払い戻しを求める相続人の法定相続分
預貯金債権は、個々の預貯金債権ごとに判断されますので、同一の銀行に普通預金と定期預金が存在する場合は、各預貯金債権につき、それぞれの額の3分の1に法定相続分を乗じた額となります。
ただし、同一の金融機関に払戻を求めることができる金額は、150万円が上限とされています(民法909条の2前段、平成30年法務省令第29号)。
例えば、A銀行に被相続人名義の1200万円の普通預金があり、これを配偶者と子2人で相続するというケースについて考えてみましょう。
②配偶者が払戻しを受けることができる額
1200万円×1/3×1/2(法定相続分)=200万円
上限である150万円を超えているため、払戻しを受けることができるのは、150万円。
③子が払戻しを受けることができる額
1200万円×1/3×1/4(法定相続分)=100万円
となります。
(2)遺産分割前の預貯金の払戻し制度を利用する際に必要となる書類・手続
遺産分割前の預貯金の払戻し制度は、家庭裁判所の判断を必要としません。そのため、金融機関に直接必要書類を持参して払戻しを請求します。
預貯金の払戻し制度を利用する際に必要な書類は、各金融機関によって異なりますが、概ね以下の通りです。
- 被相続人の出生から死亡までの連続した除籍謄本、戸籍謄本又は全部事項証明書
- 相続人全員の戸籍謄本又は全部事項証明書
- 預貯金の払戻しを希望する相続人の印鑑登録証明書
これらの書類を金融機関に提出して手続きを行います。
たとえば、ゆうちょ銀行で払戻しを受ける場合には、次のような手続の流れとなり、手続のために1ヶ月程度かかるようです。
- 遺産分割前の払戻し制度の申し出をする
- 自宅に必要書類の案内が届く
- 必要書類の提出
- 払戻金の受け取り
(3)遺産分割前の払戻しを受けた場合の効果
払戻しを受けた預貯金債権については、払戻しの請求を行った相続人が遺産の一部分割によりこれを取得したものとみなされます(民法909条2項後段)。
(4)遺産分割前の払戻し制度のメリット
遺産分割前の払戻し制度の最大のメリットは、家庭裁判所の判断を経る必要がないため、払戻しを受ける必要が生じたときに、すぐに払戻しを受けることができる点です。遺産分割調停・審判を申し立てる必要もありませんので、その手間がかかりませんし、申し立てることによるトラブルも防ぐことができます。
(5)遺産分割前の払戻し制度を利用する際の注意点3つ
遺産分割前の払戻し制度は、家庭裁判所の判断を必要とする仮分割仮処分を利用するよりも簡便で、利用しやすい制度ですが、利用する際には注意しなければならないことがあります。
①遺言がある場合
「○○銀行の預貯金は××に相続させる」といった内容の遺言が残されている場合には、その遺言の対象となった預貯金は、遺産に属さないため、払戻しの対象になりません。
しかし、金融機関が口座名義人の死亡を知り、口座を凍結する前に、キャッシュカードなどを保持している他の相続人によって、預金が引き出されてしまうおそれはあります。
そして、改正相続法は、「相続させる」旨の遺言がある場合も、対抗要件主義が適用されると規定しています(民法899条の2)。そのため、金融機関としては、特定の者に承継されたと通知されていない間は、当該預金債権が遺産に属していることを前提に処理すれば足りるということになります。通知がなされるまでに、金融機関が、相続人に対し、民法909条2項に基づいて預金を払い戻した場合も有効な払戻しとなりますので、承継された者はその分についてさらに払戻しを受けることはできません。
「相続させる」旨の遺言がある場合は、早急に銀行に連絡をしましょう。
②相続放棄できなくなる
払戻しを受けた被相続人の預貯金を相続人の生活費のような私的な支払いに使ってしまった場合には、単純承認が成立することになります。したがって、払戻しを受けた金銭を使った後に、被相続人に多額の借金があることが判明した場合でも相続放棄ができなくなってしまう可能性があります。
したがって、払戻しを受ける際には、被相続人の財産だけでなく負債についても入念な調査を行っておきましょう。
③他の相続人とトラブルになる可能性がある
家庭裁判所の手続を経ない預貯金の払戻し制度は、それぞれの相続人が単独で申し立てることができるため便利な制度であるといえます。他の相続人の全く知らないところで、預貯金の払戻しを受けたことが、他の相続人とのトラブルの原因になる可能性があることに注意しておく必要があるでしょう。
たとえば、仮払金を被相続人の入院費、葬儀費用の支払いに充てたという場合であっても、領収書を保管して、他の相続人に対して預貯金の使い道をきちんと説明できるようにしておくことが大切といえます。
まとめ
遺産分割前に被相続人の預貯金を引き出す方法は、家庭裁判所の判断を経る仮分割仮処分を利用する方法と、家庭裁判所の判断を経ずに払戻しを受けることができる遺産分割前の預貯金の払戻し制度を利用する方法の2つがあります。
どちらの制度にも一長一短がありますので、それぞれのケースに応じて使い分ける必要があります。例えば、緊急の需要であれば、遺産分割前の仮払い制度を検討し、多額の需要であれば、仮分割仮処分を検討します。
家族が亡くなると、相続の手続以外にもやらねばならないことが多く、非常に忙しくなるでしょう。その中で、仮分割仮処分や遺産分割前の払戻しを受けるための手続きを進めることは負担と感じられるかもしれません。必要な書類を収集する時間がないということもあるでしょう。そのような場合には、相続の手続を弁護士に依頼するのも有効な方法です。まずは一度ご相談ください。